繋留流産からの妊娠、0歳・4歳の姉妹子育てブログ

2016年9月に妊娠発覚し11月に繋留流産にて手術をしました。その時のことも書いておきます。どなたか今も不安な方の助けに少しでもなれば。

2017年4月人工受精

ようやく体調が戻ってきたので、3月にタイミングを取ろうとしましたが、主人の残業で取ることができず。

 


せっかく基礎体温戻ってきたのに・・・と残念に思いました。主治医に相談すると、
「そう言った不妊の原因はよくあること。タイミングが取れない月は人工受精にしたらどうか」と提案がありました。


人工受精に抵抗はなかったので、主人に相談しました。

 


平日残業で日付が変わる時刻になってしまうこともあり、人工受精の選択もできる様にしておいた方がいいね、と意見が一致し精子凍結することにしました。


4月にクロミッド内服、予測される排卵日が平日だったので 人工受精を行ないました。hcg筋注を2回打っています。ルトラールも内服していました。


また1回でミラクル妊娠できるかも、とちょっと期待していましたが、結果は撃沈。
心も撃沈しました。


人工受精はタイミングと違ってタイミングを取るストレスがないですし、痛くも何ともないしお手軽だったのですが・・・

個人的には1回で人工受精はもう嫌だ!と思ってしまいました。

 

それは筋肉注射がすごく痛いし、人工受精後のルトラールが身体に合わないのか頭痛や食欲不振、浮腫など内服期間とても辛かったです。

 


人工受精や体外受精を何度もトライしている女性のみなさんがどれだけ我慢したり痛い思いをして、それでも子供が欲しいと望んでいるのか実感しました。誰だって何度もやりたくはないはずです。


しっかり生理がきたのが3ヶ月後。
基礎体温が二層になったのが4ヶ月後。


そう思うと、術後すぐ妊活できる方も居ますが私はどのみち無理だったなぁと感じます。










術後2ヶ月〜4ヶ月の体調不良

繋留流産後、不妊治療をいつ再開しようか迷っていました。

 

 

11月中旬の手術でしたので、12月はまだしっかり生理が来ない可能性もあり年が明けてから再開しようと思いました。

 

 

不妊治療をしていると手術後、生理がちゃんとくるか、基礎体温が二層になるか、また妊娠できるか、流産を繰り返さないか色々心配ですよね・・・。

 

 

特に手術後は子宮内も綺麗だし、妊娠した身体はまた妊娠しやすい、と言われていたので早めに再開したい!と思っていました。

 

 

しかし、そう簡単ではありませんでした。

 

 

流産の原因が染色体異常とは分かっていても、無理をして仕事を続けた自分自身が嫌でこの感情は中々消えませんでした。

プラス看護の仕事自体やることにもとても罪悪感を感じる様になってしまいました。力仕事をするたびに「この動作が赤ちゃんを殺したんだ」と思うと仕事のモチベーションも全く上がりません。関係ないよ!と言われそうですが。上司にも原因を自分の行動で突きつめ出したらキリがないよ!と言われました。本当その通りです。

 

 

同じ職場で10年近く働いていたのですが、辞めると決断したのが2017年1月の事です。(流産後2ヶ月)

3月になると来年度の委員会やらモジュールのリーダー業務やらチーム編成やら病棟内での采配が始まるので、早めが良いと思いお正月明けてすぐに婦長さんに相談しました。

 

 

異動を説得されたり、休職という手立てを取られないように理由を考えていきました。

今後また妊娠し子育てのするときのために実家近くに引っ越します、と説明しています。(事実なんですが。仕事に罪悪感を感じるは通用しないし)

 

 

その場で承諾して頂いてとても精神的に安心ました。1度リセットしたい気持ちが大きかったためです。

3月末の退職者が多く、6〜7月頃の退職となりました。退職日についてはまた上司と相談する形で終了しました。

 

 

じゃあ元々通っていた不妊治療を再開しよう!と思い1月に受診し2月の生理がきたら来てと言われました。

 

 

また妊活できると思っていたのですが・・。

 

 

そこから散々でした。

 

 

妊活どうこうではなく、身体が。

 

 

1月4日39度の発熱があり、突然夜中に嘔吐しました。それはマーライオン並みに吐きました。消化管系の症状が出るインフルが流行していたので、インフルだ!と思って受診しましたが、陰性でただの風邪でした。3日ほど休みを頂きましたが、食事があまり取れなくなりました。

 

 

1月中旬、咳が何日も止まらなくなり、ずっと微熱が続きました。仕事をすると呼吸苦もあり、呼吸器科を受診。咳喘息と診断されました。喘息の一歩手前です。吸入とステロイドで1週間ほどお休みを頂きました。

 

 

咳喘息の症状が落ち着いてきたころ、2月上旬。また突然39度の発熱がありました。今度こそインフル?!と思いましたが陰性。1日何度も下痢が続き、急性腸炎と診断されました。

3日ほどで平熱になりましたが、お粥の様な優しい物しか食べられません。

 

 

今年に入ってお休みも沢山もらってるので、これ以上休むことに罪悪感を感じていました。早く復帰しなきゃ、という気持ちだけが先行し3日で復帰しました。腹痛も下痢もなく、平熱だったので大丈夫だろうと夜勤に行きました。

 

 

準夜勤帯20時頃、吐き気に襲われ熱を測ると38度でした。

当直と婦長さんに報告すると「何でこんな状態で出勤するの?!」と怒られ。

代わりを自分で探せ、と言われ(←これもひどい話ですよね・・)スタッフに端から連絡し。外来で点滴を受け、両親に車で迎えに来てもらいました。

 

 

もう限界で救急外来のベットに横になったら涙が溢れてきました。

 

 

看護師10年近く働いてきて年に1度風邪引くくらいで迷惑だってほとんどかけたことがないし、ある程度責任ある立場で任されている職務も多いです。ましてやすぐ泣くタイプでもないのですが。

 

 

夜間帯で体調不良とか一番やっちゃいけないことだって知ってます。それほど追い込まれてるんだな、と自覚しました。

 

 

そこから2週間近くお休みをもらってます。

その間も食後の下痢が続き、トイレがない場所には行かず食事も元どおりには行きませんでした。

 

 

すでに1ヶ月で6キロ痩せました。

 

 

2月はほとんど出勤していません。

 

 

その後も3月に入り喘息がぶり返し、風邪で数日お休みをもらっています。

 

 

 そんなわけで不妊治療もタイミングを再開しようと思いましたが、基礎体温はガタガタ。

度々発熱もありましたし、あまりアテにはならないけれど、二層に戻ったのは3月頃。手術後4ヶ月経過してからでした。

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繋留流産 掻爬術後1ヶ月

2016年12月12日
手術して1ヶ月が経ちました。
あんなに辛いと思っていたのに、主人や友達や仕事のおかげで流産してしまったのが随分昔のことに思えます。
思えば術後から結構元気でした。

 


術前の症状が辛かったので、あの痛みがなくなっただけでとても楽になりました。
茶色の術後出血がダラダラ続いて、生理がいつ来るか分からない不安もあったけれど、どうにかなるでしょという感じです。

 

 

ただ先週主人側のご家族と会う機会があったのですがその時は本当に辛かったです。
術直後はお断りしようかなと思ったけれど、思いの外元気だし予定通り参加しました。

義理のご両親とは術前3日前、一番辛い時に、電話でしか話が出来なかったから、お会いするのは妊娠の報告以来で、それがとにかく気まずかったです。
普通の会話でも全然笑えない自分がいて。
どんな顔して会えばいいんだろう、と不安でした。ほとぼりが冷めてから会えば良かったな。

 

 

どうしても喜んでくれたご両親の顔が忘れられなくて、残念な想いさせてごめんなさいという気持ちが溢れてました。
笑顔も中々出来なくて、むしろ気を遣わせてしまったな、来なければ良かったな、と思ってしまい余計に悲しくなりました。

 

 

それが原因なのか、その日は悲しくなり夜また泣いてしまいました。主人に「悲しい」と言ったら「どうして泣いてるの?赤ちゃんの事を思い出した?」と理由を聞かれたのですが、なぜ泣いているのか、何が悲しいのか自分でもよく分かりませんでした。

 

 

とても元気、元どおり。

 


って思ってたけど、やっぱり思い出してしまいました。

 


今も実の両親には会っていません。
なんだか辛くなりそうで会いに行けないんです。ずっと実家から逃げています。

 


年始の勤務が出て、三が日全て仕事だった勤務表を見た時いつもならショックですが、今回は「帰省しなくていい」ことでとても安心しました。やはり母の顔は見たくありません。
そういう意味ではまだ「過去」には出来ていないのかも。

 

 

【術後こんなに簡単ではないですが心境の変化はざっくりこんな感じでした。】
・悲しみを何かで紛らわせたい。【術後1週間】
・早く時が過ぎてほしい
少しヤケにもなりました

・次また妊娠したい【術後2週間】
少し気持ちの整理がついて元の生活に

・次の生理がいつ来るのか不安【術後3週間】
今後の不安がよぎる

・元気な風だけど、何気ないことで傷付いたり悲しくなったり不安になったりする【術後4週間以降】

 

 

 

 

 

術後1〜9日目までと看護師の仕事について

術後1日目
朝から散らかってた部屋を掃除しました。
身体は軽いです。
吐き気も眩暈もないし。
やたらと午前中キッチンやら床やら掃除して。
やりすぎてかるーく眩暈。
麻酔の影響じゃないから貧血?と思いとりあえず持ってたフェロミアを予防的に内服しました。

昼には子宮収縮剤の影響と思われる
お腹は小人が手で子宮をキュッキュッ軽く絞ってる感じです。
軽い生理痛みたいな。
歩けるし出掛けられるけど重くなったら嫌だからイヴを飲んだら30分くらいでかなり良くなりました。薬が飲めるってありがたいです。

 

 

朝はお粥を食べたけど昼はコーヒーとパンを食べたら1時間後下痢しました。
前日あれだけ吐いて胃を痛めたのにコーヒーは刺激が強かったようです。

 

【教訓:手術翌日はなるべく消化の良い食事をすること。(・・・当たり前ですね(TT))】

 

 

午後は紅葉見に行こう!と言うことで
久しぶりの化粧!(手術前からしてない)
久しぶりのオシャレ!(ヒールが履ける!)
久しぶりの外出!(お腹気にせず出かけられる!)
なんたる開放感!!

 

 

家にいると気が滅入るしさすがに術前4日間プラス手術の日で5日間マトモに出かけてないのでストレスはピークでした。主人と電車で都内の公園の紅葉見て散歩して。周りから見たら昨日オペしたなんて分からないだろうし、なにより日常生活に戻れたことがとても嬉しかったです。
でも30分くらい歩いたら軽い眩暈がしてきて、あーだめだ。と思い1時間くらいで帰ってきました。
テンション的には自転車レンタルしてサイクリングしよう!って感じでしたけど、身体は正直でした。

帰って来てベッドでダウン
すごく疲れた
とても眠くて怠い

 

教訓:元気と思えても、全身麻酔翌日はなるべく自宅安静にする方が良い。

(・・・当たり前(TT))

 

夕方眩暈がおさまらず家にあったメリスロンを1錠内服

どうやら眩暈は子宮収縮剤の副作用ではないかと考えました。電車に乗ると少し酔ってしまうのか具合が悪くなります。夜はあまり食欲もないし眩暈も続いてたけど、ホテルフレンチのディナーを予約済みだったため、久しぶりにヒールを履いて出掛けました。
これもとても楽しみだったけど食欲もないし、ワインも飲めないし本調子の時に来たかったな。

ただコースを食べ始めたら眩暈はなくなりました。案外単純です。


今回の件があり主人も生理や妊娠、流産の話などかなり知識をつけたためお互い堂々と話ができるようになりました。
ホテルのレストランでする話じゃないけど、また妊娠してもおりてしまうんじゃないかと思う不安、もう出来ないんじゃないかという不安、また手術する恐怖、でも子供はほしい葛藤、もしかしたら不育症などの母体原因なのか、とか赤裸々に色々話しました。私だけが持ってる気持ちかと思ったら主人も同じ気持ちでした

流産が告知された時は、わんわん泣く私に「今回は偶然6分の1でダメだったけどちゃんと妊娠するって分かったし、不妊なわけじゃないんだからね。知り合いがそうだから俺も種無しかもって心配してたけど普通にできたしね。いまはしっかり休んでまたつくろう?」って励ましてくれました。赤ちゃんは私の不妊、主人の思い込みの種無し説を否定してくれました。

(のちに精子検査もしましたが非の付けどころがない優良値で、主人のただの思い込みでした。皮肉なことに、この結果で流産は私の卵子のせいなのではという気持ちが大きくなったのですが。)

 

 

今日は術前と違って、また赤ちゃん会いたい気持ちと、流産してしまう恐怖、手術の大変さも知っているので「今後どうするかはどちらでもいいよ。確率は低くてもまた流産してしまう可能性はあると思う。今後作るかどうかは任せるよ。」と言っていました。

 

主人にあなたの気持ちは?と聞くと「俺はほしいよ(o^^o)」何人?と聞くと「一人っ子じゃ可哀想だから二人でもいいけど、仕事しながらだと色々大変だし。うーん、迷うな。」と悩んでました。なんだか楽しそう。

子供がほしい、と聞けて嬉しかったです。
その上で別に夫婦二人でもいいよ、っていう選択肢をくれる優しさにとても感謝しました。

 

今回の一件悲しくて辛いことばかりだったけれど、お互いの絆は深くなった気がします

性格上中々言いたいことが言えなかったわたしは、自分の気持ちや伝えたいことが言えるようになったし、泣きたい時に主人の前で泣けるようになりました。

 

お互い気持ちを本音で話す事もできるようになりました。
頼って頼られて。より仲良くなりました。

今は一番頼れる存在です。


苦痛を2人で乗り越えて、本音で話して、将来を2人で悩んで。


やっと本当の夫婦になった気がしました。

赤ちゃんが置いて行ったお土産はとても大きいです。

 

 

11月14日 術後2日目
出血もほとんどなし。
腹痛もなくなりました。
疲れやすく夕方眠くなり頭もガンガンします
でも元気です。
心強いのは鎮痛剤が飲めること。
家族と表参道へ。ランチで人気店のガレットを食べに行ったり。そのくらい歩けるようになりました。

昨日より動けるようになりました。
でも帰ってくるとぐったりですね。

まだまだ本調子ではありません。

徐々に妊娠報告した友達にも流産した件を伝えました。
中には「看護師は身体の負担も大きいから・・・」と労わりの言葉をくれた友達もいました。悪気はなくとも、私の仕事内容が悪いと言われているようでとても辛かったです。母体側のせいで流産したなら、と考えるとまた涙が出てきます。

 

 

11月15日 術後3日目
出血、暗血性少量
友達とカフェランチ
看護師の友達だったので術前後の経過、病院の愚痴を聞いてもらってかなりすっきりしました。
夕方18〜19時ごろ腰部の鈍痛
またイヴを1T内服
なんだか生理みたい。
食欲もあんまりないな〜。

 

 

11月16日 術後4日目
受診日。
また病院へ行かなくてはならないと思うととても気が重いです。ただし術後診察だから大事。行かなくては。
待合いの妊婦さんも案外平気でした。
ちゃんと無事産まれてきてね、と思うし、
帰りに赤ちゃんを見ても、この子は健康に生まれて来てよかったーみんなこうあってほしいと心から思いました。


まず内診とエコー。
オペの時出血が多かったせいで子宮内に見てはっきりと分かるほど血液が貯留していました。

すっきり何にもないと思ったのに、
だから術後良くなっていくはずが、
だから徐々に腰部の鈍痛とか出てきたんだぁ。
溜まってる割には出血もほとんどないし。
再手術とか絶対やだぁ・・・。


すごく不安です。
「手術の時に出血が多めだったから溜まってるけど、まだ術後数日だから、そのうち出るから大丈夫。レバーみたいなのが出るよ」

 

うそだぁ〜!!と思いました。
術前も赤ちゃんを出そうと子宮収縮が激しくて4日は痛かったけど、ほとんど出血なかったもの。


手術当日も赤ちゃん綺麗そのまま残ってたし。

今回も痛いだけで血液は出てこない気がする。

はぁ、次から次に心配ごと。
早く何にも心配ない身体になりたい。

 

また不妊治療外来へ行きたいことを伝えると、
「そっかそっか。1回生理がきたら行っていいんだけど。そしたら基礎体温またつけ始めた方がいいね。それで生理がきたらもう一度来てもらおうかな。不順?1ヶ月で生理こないんだっけ?そうしたらもし2ヶ月こなかったらその時は僕の外来で予約を取って来てね」とのこと。


この血液貯留が綺麗になったことを確認したら不妊治療外来へ転院okということだろう。

そう言えば取り出した赤ちゃんどうしたのかな。死産だと火葬するけど、胎児ではないから(一部の検体以外は)普通に考えたら手術で出た汚染物。感染ダンボールの廃棄物になるはず。数センチでもわたしの赤ちゃん、病院の感染ゴミに捨てられたかと思うと、本当に胸が痛む。かわいそうに。考えなきゃよかった。

 

また夕方生理みたいな腰の鈍痛。
左足付け根や尾骨にズッキーン。
腰もずーっと重いよ〜
血液が溜まってるからだ。
出さないと軽くはならないだろう。
ほとんど出血なんかない。
あと子宮収縮剤は1日分だけど排出されるのだろうか。
生理と一緒に出てきてくれないだろうか。
いやいや、その前に生理いつくるのよ。
それまでこの状態?!
感染したりしなきゃいいけど。
食欲もないし、具合悪いな。
受診でテンション下がり、血液貯留でショックで、しかもなんだか微熱もあり体調も悪くて主人が帰ってきてもずーんて感じでした。


ただこの辛さ、わたし自身でないと分からない感情と思い主人には何も言いませんでした。
受診どうだった?と聞かれ「まぁまぁ」と
ただただ不機嫌て感じ悪いよね。


23時頃ようやくお腹も空いてきたのでコンビニでお菓子とカップヌードルを大量に買い込み、無言で食べ続け主人を心配させました。

 

 

11月17日 術後5日目
全くなかった出血が
術後4日目、5日目に暗赤色の少量出血が何度かありました。排出されていると安心。
昨日は具合が悪かったことを伝えると主人に「俺は気づいてあげられないからそういう時は言ってほしいな」と言われました。


・・・ですよね。
軽度頭痛や熱っぽい感じなど生理とおんなじかんじ。
普通の体温計で36.9

ひとつ疑わしいことが。

切迫流産しかけていたのを気付かなかったのでは疑惑がわたしの中にありました。
夜勤前からお腹が痛かった、茶オリが1週間もあったのに受診しなかった。


仕事中走ったし、屈んだし、入浴介助したし、清拭や体位変換もしたし。どこまでやってはいけなかったのか、どうしたら良かったのか、未だに分からない。
腹痛も出血も初期にはあることだろうと特に問題視しなかった。
お腹が張ったけど夜勤中だったから言えなかった。


もしすぐに受診していたら安静にしていたらどうなっていたんだろう。


上司や一部スタッフに妊娠は伝えていたけれど、特に重労働や走り回る作業が減ることは一切ありませんでした。


配慮されていないというよりも、看護師の仕事内容で妊婦にとって安心してできる仕事が1つもないことに気付きました。

 

総合病院の外科病棟。ナースコールを取り、オペ出し、離床介助、点滴交換、トイレ介助、オムツ交換、パソコン入力も廊下を歩きながら。とにかく1日中走り回る。ゆっくり座るのは昼休憩だけ。全介助の患者さんの入浴や清拭、屈んで腹圧をかけて立ちっぱなし。座って落ち着いてやる作業って何かある?

 

よく息が切れていました。立て続けにケアに入ると苦しくてしかたがありませんでした。夜勤は17時間立ちっぱなし、通勤は満員電車の1時間。

 

いくら遺伝子異常の流産と言われても。母体のせいじゃないと言われても。納得出来ませんでした。


でも赤ちゃん以上に大切なものなんてなかったから。そう思ってたから。
座れる時にはなるべく座り、体位変換も誰かと2人でやって、走らないようにして、ゆっくりとした動作を心がけていたつもりです。休みの日には寝てとにかく身体を休めて。


それでもだめだった。
座ってる時と、寝てる時にくらべて子宮への血液量は1/2、立つとそれ以上に減るそう。
わたしは大丈夫、と思っても赤ちゃんにとってはとても負担だったのかもしれません。
わたしが息が切れてるってことは赤ちゃんはもっと苦しかったのかな。


本当にごめんなさい。
ぐるぐる考え出すと止まらない。
そうだよ、赤ちゃんより大事な事などなかった。


でも仕事は辞めるべきなのか未だに答えが出ません。

 

 

11月18日 術後6日目
暗赤色少量、パンティライナーを1日1回〜2回変えれば十分な程度です。
子宮収縮剤と抗生剤の内服が昨日で終了したためか、軟便から普通便に戻りました。


仕事復帰しました。
みんなに「ストレス?大丈夫?」と心配してくれて。
妊娠も流産も知らないのはありがたかったです。
たまに「赤ちゃん?」と聞かれ何人かに本当の事を話しました。


子供をもつ先輩にも「それうちの病院訴えたら絶対勝てるよ。妊婦のする仕事じゃないもん。」と言われました。複雑な思いです。

 

流産したのはわたしのせいですかって思ってしまいました。勝っても赤ちゃん帰って来ないしね。


午後から頭痛
ロキソニン1T内服
インフル予防接種前の体温測定で37.3
久しぶりに仕事で走ったからか、微熱があります。
帰宅してからも37度台の微熱でした。

 

 

11月19日 術後7日目
出血はぐんと減って茶色おりものごく少量に。
36.9仕事をすると37度台と微熱。
頭痛はなくなってきました。

 

 

11月20日 術後8日目
夜勤明け。
茶色膿様かと思えば鮮血も少量出たり色々。

帰り道1回ヌルっとなんか出たのが分かりました。
やや多め血性〜やや暗赤色のコアグラ
これかー!思った。やっと出た!
Dr言った通りでした。疑ってごめんなさい。
T37.1

 

 

11月21日 術後9日目
昨日ドロッと出たあと出血がピタリと止まり。
T36.5熱も下がりました。

 

 

本当にこれで終わった、と思いました。

 

繋留流産 掻爬手術当日

当時書いた手術日の記録です。

この頃、医師の資格問題があり報道でも有名になった都内の病院です。真相は私には分かりませんが、術後検診ののち潰れました。今は閉院しています。

 

ごめんなさい、経過は主観が入ってますが、

リアルな思いなのでそのまま載せようと思います。

 

 

2016年11月12日 手術当日
人生最悪の日
3時間くらいは眠れた


7:15

お風呂に浸かってリラックス
お腹はなるけど食欲はない


7:30

家にあったボルタレン25mg×2を勝手に挿肛


8:25

家を出た


8:45

受付で同意書を済ませ
貴重品と言われて財布だけ預けた
早いからか待合いは1人の妊婦さんしかいない
精神的に助かった
簡単な問診を受ける
たぶん私の前処置が終わったら外来が始まるんだろうな


9:03

経腟エコーで心拍がないことを再確認
赤ちゃんの形はそのまま残ってた
前処置のラミケンR挿入
ネット見てて激痛と言う人がいたので
ビビりまくり
こわいよ〜
「みなさん、死ぬような痛みじゃないって言われるよ」
力は入れないよう努力はする
「力が入っちゃってるね〜がんばって。」
押される感じ。
ズーンとお尻と腰が重くなる
多分1分くらいで終了
あんなにビビりまくったためか
アレ、終わったの?と言う間に終わった
ボルタレンのおかげか大したことなかった

終わったあとも普通に着替えて歩けた
スキニーのデニムで来たことをとても後悔した
もっと締め付けない楽チンな格好で来たら良かったな

 

9:10

2階の病棟へ
オペ室となり回復室へ移動
相変わらずお尻がちょっと押される感覚
反対側は新生児室、複雑
カーテンで仕切られたベッドと点滴台と
ティッシュとガーグルベイスンと
簡素な部屋だった
あまりにベットマットが薄くて(大袈裟でなく三センチくらい)普通に寝ても腰が痛くなりそう
連れてきてくれた看護師は担当ではないらしく「担当が来ますね」と言って出て行った
スマホ預けなくて良かった
持って来た文庫本とスマホウォークマンで3時間乗り切れそう
点滴いつからやるんだろう

 

9:30

たまにお腹や腰や尾骨が痛むけど軽いし大丈夫
もし辛かったら持って来たロキソニン飲もう
担当看護師来ないな。

 

9:50

突然シャッとカーテン開けて

入って来た看護師。
びっくりした〜!
「点滴やりますね〜縮こまってると思うので腕をタオルで温めておいてください・・」言われて退室。

温めるためのタオルを渡された。

しかもどっちの手に点滴入れるの?
どちらを温めるんだい。
言葉足らずすぎて不安が増しました。

 

戻って来て。「あれ、着替えてない。じゃあショーツだけ残して着替えてください。」

着替えてなんて言われてないですよ〜。
術衣を渡される。
とても寒い。
担当ならまず挨拶してほしい。
てか入る前に声かけてください。

 

10:05

薬剤師が来て退院後の内服説明。
「寒くないですか」とか看護師より気がきく
布団かけてくれて暖房を上げてくれた。

 

10:10

タオルが冷めてきた頃看護師がきた
「点滴しますね」
普段刺しまくってるのに自分が刺されるのは初。
先生が「嘘でしょ?刺れたことないの?」と診察の時言ってました。
この手技はいつもしてるからこわくない。
でも一発で入れてくださいと祈る。
右前腕に22G
ラクテック500ml 1本
点滴に名前ラベルが貼ってあるだけ
日付も時間も書いてないしカルテの持参もなし
これでよくインシデント起きないな〜と思う。
名前確認もなかった。

一度名前間違いされているので不安です。
クリニックだとこんなものなのかな。
滴下後血管痛がある。
仕方ないか、数時間だしいいや。
一応逆血確認してみたらあったから我慢。

 

10:30

尾骨痛も消え失せる
先生が外来中でオペ待たされてる状況だけど、本来ラミケンて2時間程度で子宮口拡張されるんだろうな。
ほとんど症状なくなったし。
乾燥するな。
マスク持って来て良かった。
それにしてもお腹が鳴りまくり。
欠食ってこんなに辛いのか とふと思った。
よくいる1ヶ月以上欠食患者さんてどんな気持ちなんだろう。

 

12:45

点滴入れて2時間誰もこない。
こんなことあんの。
滴下も確認しないし。
漏れてたらどーするのと思った。
と思い時々刺入部の確認
と思ったら呼ばれた。
トイレ行って入室。

 

12:50

オペ開始
医師「この麻酔怖い夢みたり誰かに襲われそうになる夢を見るからセルシン入れると少し軽減されるんだよ。襲われちゃうんだって。」

それ外来でも聞いたし。襲われる、という所を強調しながら、ニヤニヤしながら話す医者がとにかく気持ち悪かった。
手術室で台に乗って
足と手を軽くマジックテープで止められた
バイタル測って、あぁ数値正常だと思ったら
セルシン入ります。」抗不安薬が投与された。なんだかスゥーッと血管に入ってくる感じがする。
セルシン入って数秒で記憶はなくなりました。セルシン注てこんなに効く薬だったのか。それとも麻酔が効いたのか。

 

 

三角形のオレンジの建物がキラキラしていて見てたのと、3Dみたいに流動的で360度から見渡している感じでした。
客観的に母親のこととか仕事のこととか、何か色々と考え事をしてた気もするのですが覚えてません。

 

 

気付いたら元いたベッドでした。

 


結構時間が経っている感じはしました。

 


無意識で発した自分の唸り声が聞こえて起きました。

 


わたしこんな声出すんだ。

 


ぼーっとする。

 


ここどこ?オペ室?と思ったら
天井の電気と空調がぼんやり見えて。

 


「終わったのか」「何時なのかな」とか声を出してみました。
呂律が回らない。
自分の声も遠くで聞こえる感じ。
水の中にいるみたい。
グルングルン回って眩暈がする。
手もうまく動かない。
頭もぼんやり。
何時なのかな。
気持ち悪いな。
あ、吐いた方がいいな。

 


直後「おえー」でした。
側臥位にはなれたものの。
手が重くて動かないのでナースコールが押せず胃液をシーツにぶちまけてしまいました。
ティッシュがとりたいが取れない。
どこにあるかもわからない。
目を開けてもぼんやりしか見えない。
そうしてる間にまたリバース。

 


あ、ナースコール押せた。

 

 

看護師3人(気配で)血圧測り
「気持ち悪いよね、おさまったら着替えるからね」と言われ防水シートを引かれ口を拭いてくれた。
声も薄っすらしか聞こえない。
うがいがしたかったけど首が持ち上げられないので断念。
その前に意識もかなり朦朧としてる。

「吐き気止めありませんか?」と振り絞って呂律が回らないまま聞くと「先生に聞いて来ますね」としばらくして「すみません、今は使えないみたいなんです。麻酔の副作用なので抜ければ楽になると思うのですが、辛抱して下さい」
なぜ制吐薬が使えない?診察しに来い。と思ったが返す気力もなし。
このやり取り何時だったのかも不明。

 

 

15:45

少し指と足が動くようになってきた。
反対側を向こうとして頭を傾けたらリバース。
相変わらずぐわんぐわんしてて目も開けられない。
体勢戻って2、3回リバース。
だめだ、左側臥位から向きを変えられない!
その時気付いた。点滴が終了し、ロックされていることに気づく。

 


げげ!ばかなの?って思った。
手術開始時ラクテックの残は250mlだった。
身体は前日から何も飲んでいない状態。
in量が少なすぎる!

 


これじゃあ身体の中にある麻酔なんて排泄されないわーー!と思いました。

 

吐き気も目眩もおさまるわけないー!

制吐薬も使ってくれないし(効くかは分からないけど)。

ましてや吐いてて飲む事も出来ないし(そもそも持ってきてくれないし)。

点滴で流すしかないだろ〜!

と正直腹が立ちました。

 


もう一本高速で点滴落としたらあっという間に良くなりそうなものなのに!

 

ぼーっとした頭で考えるが、話すことができず知識も無駄。


「いかがですか」と看護師がやっと来てくれた。
「吐いちゃいました」これを言うのが精一杯でした。
まだうまく口が回らない。
「3:45ですよ」と教えてくれた。


ウォッカ5杯一気飲みして(飲んだことないけどさ)大荒れの海に船で3時間揺られ、ちょー船酔いなのに水の中にある回転系のアトラクションに乗ってる、みたいな心境です。

 


吐きすぎてシーツも術衣も髪も顔も肩まで胃液で緑色に染まってぐちゃぐちゃ。
濡れているのでとても寒い。
口の中も胃液で苦い。
でも、看護師は片付けてもくれず退室。
口くらい拭いてほしかったな。

主人に会いたいとスマホに手を伸ばしたがその数十センチの距離が届かず。

惨めで悲しくて泣きました。

 

 

15:54

やっとスマホに手が届く。
スマホがとても重い。持ってられない。
iphoneてこんなに重かったっけ?
今一番言いたい事。
主人に送った文字。
「たすけて」
これがやっと。
目が回る。
視界がずっとぼやけてる。
変換のボタンも押せない。
誰かに辛さを分かって欲しかった。

 

「どうしたの?!」「病院行ったらいいの?」と返信くるも返すことができない。
またリバース。
もうなんだかよく分からなくて、
嗚咽が出るくらい大泣きした。

 

 

16:00

術後2時間半くらい。

未だ起き上がる事も出来ない。
というか目も開けてられないし。
眩暈が激しい。

夕方退院の予定だったけど到底無理そう。

 

 

16:15

「起き上がれますか?」と看護師が来た。
顔も逆に向けるのがやっとなのに起き上がれるか!と思った。
「気持ち悪いです。眩暈もすごいんです」と言うと看護師「でも時間的にもそろそろ起きないと」と。

 

夕方には退院しないといけないからこの状態で帰れって事?

 


話を大げさに言ってるわけでもないのに分かってもらえない。

 


「わかりました」と言うと、
「では起きて下さい」と言われました。
え?一人で?今までの流れからして、

手伝ってくれ・・るわけないよね。
ギャッチアップするとか支えるとかなし。

寝返りだってできないのに。
もうこの時点でかなりムカついてました。

 

いつもなら文句言ってるだろうけど、

そんな言葉も発せられないくらい心も身体も追い込まれている。

 

なんとか時間をかけてゆっくり起き上がったら余計ぐわんぐわん回ってる。

やばい、吐きそう。

喉まで胃液が上がってきてる。

でも吐けない。気持ち悪い!

 


しかし渡されたりんごジュース。

まさかうそでしょ。
「飲めるか確認します」

多分、すぐ吐きますよ?と思いました。
もう言う気力もないが
口腔内は胃液で充満。
嘔吐の後はうがいさせてほしい・・。

どれだけ気が利かないんだろう。

同じ看護師なので、信じられない気持ちでした。

 


りんごジュースの前にうがいさせてもらえるか聞くとようやくうがいをさせて貰えました。

唇カラッカラ。
吐き続けてるのだから当たり前
脱水です。

 


喉が渇いていたので200mlのりんごジュースがのめました。

 


看護師「麻酔が残ってるから吐いても水は飲んだ方がいいんだけどね〜」

プッツーン。

分かってる!

分かってるよ!
ハイドレーションが必要なことくらい
分かってますよ!じゃあ水持ってきてよ!
と思ったが必要性を説明するだけでお水はもらえませんでした。
自分で取りに行けということ?

 


だから点滴追加してくれれば・・・はぁ。
言う力もなく眩暈で座ってるのがやっと。

そして看護師付き添いのもとトイレまで離床しようとしました。
起きて足をベッドから下ろした瞬間りんごジュース全リバース。

床にぶちまけました。
吐物があまーいりんごのお味でした。
悪心が続く中、立てずにいる時も看護師はただ見てました。一通り吐いたところで立てないので座りました。

 

 

ここでやっと夕方退院は無理と判断したのか
「では着替えて下さい。歩くのはそれからにしましょう」
と、シャっとカーテンを閉められたので
オイオイと思って慌てて
「待って、すみません、吐いて汚れてるのでタオル頂けますか?」
「あ、分かりました」
そしてディスポのおしぼり一本くれて退室。
明らかに左上半身胃液でビショビショです。術衣は緑に染まってました。

 

 

なのに
言わなきゃタオルもくれない。
着替えの手伝いだってしてほしかった!
正直、わたしが看護師の仕事をしていて嘔吐して胃液でビショビショで、今も悪心がある患者さんの着替えを「1人でどうぞ」とは言ったことがないので信じられない気持ちでした。

 


せめて遠くにある着替えを取ってほしかった。
ベット頭側にある着替えに手を伸ばすのもキツくてその過程でベットの上でまたリバース。
もうボロボロでした。

赤ちゃん失った悲しみに加えて、こんなに業務的な看護、付き添いも禁止で、術後の精神的な打撃もプラスされもう頭がおかしくなりそうでした。

 

 

ようやく着替を手元に持って来て、着替え始めてすぐ、上半身真っ裸になった時。

突然声もかけずシャッとカーテンを開けて看護師が入ってきました。本当にこわい。

今度はなんなの?

 


なんですか?と聞いたら
「点滴の針抜きますね〜ごめんなさいね、裸の時に。」
おっぱい丸出しで
気持ち悪い中
点滴を抜針していきました。

 

 

なぜ今なの・・・

座ってるだけでリバースしそうです。
起きてるのが辛いのだから、寝てる時に抜いてほしかった。
っていうか服きてから抜けばいいじゃないですか。

看護ってなんなんだろう。
いや、それ以前に人としての配慮が・・。

 

 

16:41

術後3時間くらい(たぶん)
着替えおわり。
また横になりました。
目は回るけど、寝てればやっと会話ができるくらい回復しつつあります。
自動ドアが開き看護師が来るのが恐怖です。

 

 

ラインで連絡があり
主人も病院に着いたようです。
でも回復室には入れないみたいで外来で待ち。
そう言えば術後の痛みはほとんどありませんでした。
悪心でそれどころじゃなかったと言うのもありますが軽い生理痛程度でした。

 


それよりお腹がすっきりしたのなんのって
それまで続いていた腰のズッキンズッキンもアッサリなくなりました。

 

 

17:05

またドアの音がする。

看護師きた、こわい
「トイレまで歩きましょう」

次はそう来ると思いましたよ。
歩けんのかな。
気持ち悪いな。
付き添いの元トイレまで歩行
途中で「おえー」でも嗚咽だけ
ふらふらしすぎてまっすぐ歩けません。

 


ようやく洗面所で自分の顔を見ました。


ゾンビでした。


ハロウィンのやつよりもっとリアルなゾンビ。


顔が茶色がかったグレーで見た事もない顔。
トイレの洗面所でうがいして水を飲みました。
無理しても飲まないと。
吐いても飲まないと。
どれだけうがいをしても、
お水が胃液の味でした。
やっと術後1回目の排尿。
あと3回くらい出ないとこの吐き気も眩暈も改善しないなと思うと、うんざり。

 

17:15

元いたベットが惨状だったので他のベットで休んでいいよ、と移されました。
ありがたかった。
横になってればスマホもいじれるようになりました。
あまり画面を見てると酔ってしまうので、主人に状況を伝えるなど最低限で。
でも起き上がったり歩いたりは無理そう。

 

 

17:35

術後4時間くらい(たぶん)
主人が回復室に来ました。
どうやら他の患者さんも居なかったので、入れてくれたようです。
なんだかんだ1時間以上も会えないまま主人を待たせていることに罪悪感を感じていたので
これもとてもありがたい配慮でした。
やっと会えた。

すぐに主人に言って何度か水をもらい無理に飲みました。誰も持ってきてくれないので。

 


横になってたから眩暈はあったけどなんとか会話ができるまでに。
「外来で診察の予定でしたが、外来終了後にこの階にある診察室で診てもらうことになったので、まだ時間もあるしゆっくり休んでくださいね」

ゆっくり休んで下さいね、なんてこの日初めてこの看護師から人間らしい優しさのある言葉をもらった気がしました。
もう少し横になっていられる安心感からまた泣きそうになりました。

 

 

18:00

術後診察の内診で分娩室へ。
同じ階の診察室とは分娩室のことでした。
ちょっと複雑な気持ちです。
しかも歩いてまたリバースしそうになり
分娩室たった10m

遠い。

とても長くて遠い。
やっぱり歩くとダメ。

 

分娩室に入ると、

「〇〇さん?え?違う人?」
カルテを見ながら
ドクターが看護師に聞いてます。

聞こえてるよ。合ってるよ。
病院ではよくある場面だけど、ほんとむかつくな。
患者の名前くらい、ていうか今日オペした人の名前くらいさ、覚えてなよ。
忘れたならせめて聞こえないとこで確認してほしい。

エコー上綺麗になってました。

 

 

医師より。「痛がりでしょ?医療関係者って痛がりだからね〜」「術中にすこーし暴れたので痛み止めを増やしたんです」「こんなに吐くなんてお酒弱いでしょ」だそうです。

 

 

ツッコミどころ満載すぎてもう無気力。
具合が悪いと心も狭くなります。

 

お酒弱くないし。
そんなに痛がりでもないし。
医療者が痛がりってどこ情報?
ならあんたもなんじゃない?
もうどーでもいい、早く家に帰りたい。
一生この病院にはかからないと誓いました。

要らぬことをベラベラ喋る医師でした。

 

ちなみに院長です。

一緒に働くのもごめんです。

 

 

18:15

主人が会計お願いしたところ、
「術後診察の分がまだおりてきてないので少々お待ちください」と。永遠にも思えました。
2階から1階へ降りるために歩いたので
さらに気持ち悪い。待合で吐きそう。
指一本動かすのも辛い。
他の妊婦さんが2人いたけれど、関係なく「うーうー」唸ってました。

 

 

18:25

お会計がおわりタクシーをよんでもらう。
「10分程度かかるそうです」
ああ10分も・・と声に出してました。

 

 

18:40

リバース用ビニール袋をもらいタクシーに乗車。
吐くのを必死で堪え、主人に膝枕してもらいなんとかマンション到着。
ものすごく長い5分でした。
電車なんて絶対無理でした。
眩暈でまっすぐ歩けない。

 

 


家の鍵を開けてくれている最中
「うっ!早く開けてーー!!!」
間一髪トイレでリバース
トイレとベッドで飲んだ水と胃液でした。

 

 

18:45

吐いて、ちょっとすっきりしました。
着替えてやっと自分のふかふかのベットに横になったことでやっと安心できました。
横になってれば平気。


あとはリバースせず飲水摂取して麻酔の血中濃度を下げるため排尿させるのみ!

 

 

19:00

頼んで買って来てもらったウィダーインゼリーやポカリを寝ながら飲みました。
ウィダーインの美味しいこと美味しいこと。

 

19:30

ようやく2回目の排尿!
はぁ、やっとハイドレーション成功。
脱水も改善されてきた様子。
長かった・・・。
オペ終了して6時間、ようやくトイレまでの数メートル普通に歩けるようになりました。
眩暈はあるのですぐベットへ。
もう吐きたくない!

 

 

20:30

ようやく家族に手術が無事終わったことを報告(おそっ)心配するラインが沢山入っていたので心配かけたなぁ、と痛感しました。
お母さんには電話しました。
泣いてました。

ちょうど友達からアホな画像が送られてきて
今日手術した事情を説明。
気が抜けてやっと笑えました。
タイミングのいいこと。
友達って本当にありがたい。

 

 

21:30

どうしても髪にこびりついて固まった胃液が気持ち悪く全身汗だくだったのでシャワーへ。
無理だったら座って浴びようかと思ったけど大丈夫みたい。
シャワー後体重を測ったら1.2kg痩せてました。体脂肪は増えてる。
数日安静での筋力低下&術後脱水なだけ
一瞬のぬか喜び。
踏んだり蹴ったりですわ。

 

 

22:00

この日初の食事
たまご粥を作りました。
立ってるのも辛いけど、お腹は空いたし。
食べられそうなものもなくて。
こんな時お母さんがいてくれたらなぁ・・何も言わずとも作ってくれたのになぁ。
と内心思いました。
主人は頼んだものは買ってきてくれるけれど、それ以上の気が効く人ではないので
男性の多くはそうか・・
でもいてくれて本当に助かりました 。
精神的な安定にも繋がったし。

 

 

0:00

就寝しましたがまだ軽度眩暈がありました。

 

 

とても長くて怖くて辛い一日でした。

一生こんな想いはしたくありません。

 

 

 

 

繋留流産 掻爬手術の3日前〜前日まで

11月9日 手術3日前
肌ツヤが良いです。悲しい。
出血なし、下腹部痛たまに。
ずきーん。
一人は不安。
痛み止めがどれくらいあるか確認しました。
結構ある、乗り切れそう。
午後外に出て赤ちゃん見ては

涙が出てくるし外にも出られません。


家にいると手術のことや自然流産の出血がいつくるのかこわくてどうにもならない。


染色体異常と分かっていてももしかしたら、カフェインとったせいかもとか入浴介助で力入れたせいかもとか不毛なことが頭をよぎりまた泣いてしまう、その繰り返し。

 

18:30

左腰痛きた
ずきーんと痛い
スマホは操作できる
スケール3
進行性流産に移行したのかな
こわい
茶オリ続く

 

20:00

ロキソニンを飲みました。
飲んでも痛みはあまり軽減せず。
手術を待たず自然流産してしまうかも・・
不安と恐怖で涙が出てきます。

 

20:15

今日もカロナールをかぶせて内服しました。
どうせなら産んであげたいな。
少し痛かったけど寝れました。

 

11月10日 手術2日前
10:00スケール2くらいの腰痛
昨日飲んだカロナール
薬効は切れてるはずだからこれなら大丈夫。
外出はできないなぁ。
スマホで検索するのは手術のことばかり
不安で頭がいっぱい。

 

夜。ピンクおり少量
今日は腰痛腹痛があまりない
冷えたらすぐ風呂に入る
温まると少し楽になる
丸みを帯びていた身体からたった2日で脂肪が取れ元あったくびれが戻った

手術が不安で一睡もできませんでした。

 

11月11日 手術前日
相変わらず茶オリ
今日は腰痛と下腹部痛
ボルタレン座薬入れてごまかしました。
緊張で眠れなかったけど、少し吹っ切れた感じ
これやらないと次に進めない。
早くやってもらいたい。
手術したらどんな形でも赤ちゃんに会えるのか、と思ったら少し気持ちが楽になります。
今日21時から禁飲食
そんなに早くから飲水制限しなくても大丈夫でしょ、と思いつつ守りました。

 

朝までほとんど眠れませんでした。

 

 

 

心拍が停止した日

2016年結婚して一年半

そろそろ子供が欲しいなぁと思っていた頃。

 

8月半ば。友人に「まずちゃんと検査した方がいいよ!」と勧められました。

 

はじめはかなり軽い気持ちで不妊治療クリニックを受診しました。

 

 

クロミッドを3日間内服し、

タイミングを勧められ1回目。

9月には妊娠検査薬陽性が出ました。

まさか本当にこんなに早くできるなんて思わなかったので驚きました。

 

 

不妊治療クリニックは1ヶ月で卒業し

産科に転院しました。

5週目に胎嚢確認

6週目に心拍確認でき順調でした。

しかし8週目心拍が停止している事がわかりました。

 

 

その日の事です。

 

 

11月8日 9w0dの受診。


11:30

エコーにて心拍ないことが確認されました。
数日前に止まったと
眩暈と吐気、すぅーっと意識が遠のく感じ
倒れると思い横にならせてもらいました。

 


涙も出ない

落ち着いてから手術の話が始まる
なんだかよく分からない
自分の事とは思えない
全麻でやってほしい
知らぬ間に終わっててほしい。

  

12:00

術前採血と心電図
待合は赤ちゃんでいっぱい
心電図隣では妊婦さんがドップラーやってて赤ちゃんの激しい心拍が聞こえてきます。

 

12:30

お会計まち

主人とお母さんに流産した事をライン
お母さんから「えー!大丈夫?」と

涙が出そうだから一刻も早く帰りたい。

 

13:30

お腹空いた

パン食べて、でも味しなくて
旦那さんから「早退しようか?」とラインのあと電話がきました。
でも電話に出られなかった、泣きそうで。
明日の仕事どうしよう
行けない、仕事なんかできない。

明日休ませてもらえることとなりました。

 

 

14:00

ベッドに入った瞬間ボロボロ泣けてきました。
主人に「早く帰ってきてほしい」と言ったら定時で帰ってきてくれました。

 

19:00

帰ってきて
やっぱり顔見たらわんわん泣きました。
旦那さんもウルウルしてて
「誰のせいでもないよ、責めちゃダメだよ」
「10〜15%はそうなってしまうからツイてなかったんだ。仕方ないよ」
「俺のせいかもしれないから検査するよ」
「また一度リセットしてさ。身体を休めよ」
「妊娠できないわけじゃないんだからさ。また考えよう?」

優しい言葉のオンパレードでまた大泣き
涙腺破綻
顔面崩壊

 

20:30

ごはん。

ピンク〜淡血性の出血少量。
夕方から下腹部鈍痛軽度
気づけば数時間前はあった胸の張りがなくなってることに気づきました。
頻尿も停止
やっと流産してしまったんだ、と実感し始めました。

 

21:00

一応出血があったこと病院に電話する。
女医がすぐに出た
多量じゃなければ経過観察でよいと。
どうでも良さそうな電話対応
何してても涙が出てきます。

 

22:00

いつ強烈な腹痛きてもいいよーに

ロキソニン内服し入浴。

妊娠中はなかった肌ツヤのよさが復活
それもまた悲しい

 

23:00

就寝。するもたまにくる左下腹部痛で寝れません。

 

0:00

カロナール2Tをかぶせて内服しました。
疼痛は朝まで消失。眠れませんでした。

 

人生で一番ショックな日でした。